マイホームへの憧れと家庭愛の欠乏感

どうも、シンです。
あなたはマイホームへの憧れはありますか?

以前の僕はありました。
マイホームを持ってる=「一人前の大人」「結構裕福」「幸せな家族」
みたいな超偏見を持っていました。

こう書くとだいぶ偏った意見のようにも見えますが、マイホームが欲しいんだー!という人は何かしらの欠乏感を心の奥底に持ってる方だと思います。
僕の場合はそれが家庭愛・家族愛の欠乏でした。

今回ふと、僕が家庭愛に欠乏していたことに気づけたので備忘録として記事を書いておこうと思います。

心の欠乏感は主に幼少期に構成される。

心の欠乏感というのはほっとんどの人が持っています。
これはまず間違いないです。
そして、僕たちに欠乏感を覚えさせるのは僕たちを育てた人、主に親です。

こう書くと、「親、このやろー!」と思う方がいるかもしれません(昔の僕)が、それはだいぶ責任を人に擦りつける癖がついているので思い直していきましょう。

まず、親は僕たちに「欠乏感を植え付けてやるぜ!ぐふふ」と思っていません。
無意識に発言した一言や態度を感受性の豊かな僕たちが強烈に受信してしまって
「欠乏感を勝手に作り上げてしまう」んです。

絶対の信頼を置いているお母さん、お父さんに言われたことだからと純粋な心で受け取ってしまい、心の奥底で大きな傷にしてしまうんです。

僕の話ですが、我が家は家庭環境があまりよろしくありませんでした。
とはいっても世紀末のような感じではなく、ただ暴言が飛び交っていてたまに暴れて家の中のものがポルターガイスト現象のごとく飛び交うことがある、よくあるパターンの家庭です。

大人になった今思うと、そんなに大したことはないのですが学生時代はそれが嫌で嫌でたまらなかったです。
正確には当時は嫌という認識はなかったです。
ただ、今思い返してみるとあの感情はきっと「嫌」だったんだなと感じるだけです。

まぁそんな感じだったんですが、常に満たされない感覚でいっぱいで生きていました。
その感情は大人になっても続いていくのですが、なぜ自分はこんなに虚しいのか。それが全くわかりませんし向き合う勇気もありませんでした。

結婚後、マイホーム購入を本気で考えた。

現在愛する妻と、3人の子供に恵まれて家庭生活を送っていますが今の住まいは賃貸です。
ですが、以前にマイホーム購入を本気で考えて検討していた時期がありました。

マイホームを購入すること自体にはなんの異論もありませんが、僕の場合完全に自分の中の欠乏感をマイホーム購入で埋めようとしていたんです。

今思うと、本当にあの時に購入しなくてよかったと思うんですが、危なかったです。

というのも、その当時恥ずかしながら家族仲があまり良くなかったんです。
どうにかこの状況を好転させたいと必死だった僕は、マイホームに解決を求めたんですよ。

きっとマイホームを購入して問題を解決しようとしたなら家族仲は間違いなく崩壊への道を辿っていたと思います。

欠乏感に気づけたきっかけ

僕は今、家庭愛への欠乏感はきっとほとんど解消されました。
というのも、家族とのコミュニケーションの量が以前に比べ段違いに増え、妻と考えを共有することが日常化してきたからです。

僕はきっと無意識に、自分のことを理解して欲しかった。この虚しさを埋めて欲しかったんです。
そして、自分のことを誰も理解してくれていない。と思い込んでいました。

でも、妻とコミュニケーションをとっていく中で、妻が僕のことを理解しようとしてくれているということに気づけました。
「完全な理解」などきっとあり得ません。でも、僕は自分は人に対して何も与えないのに相手に「完全な理解」を無意識に求めていました。

だから、「完全な理解」を得られない虚しさが常につきまとっていたんです。
そのことに妻が気づかせてくれました。本当にありがたい存在です。

求めるだけだと不幸になると学んだ。

マイホームに心の欠乏感を埋めることを求める。
妻に心の欠乏感を埋めることを求める。
人や物に、自分の満たされない気持ちを埋めてもらうことを求めると確実に不幸になるなと僕は体感しました。

そんな他人に頼りきった精神では、きっと何も解決しません。
今の世の中はすごくモノやサービスがあふれていて、もらえることが当たり前になっていることってきっと多いです。

でも、求めるばかりの人は総じて不幸な気がします。
「会社が悪い」「政治家が悪い」「国が悪い」「上司が悪い」「部下が悪い」
「妻が悪い」「ご近所さんが悪い」「学校の先生が悪い」
たいてい全員悪者です。笑

求める人間から何かしら与えることのできる人間へなっていきたい。
しみじみそう思います。

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